2019-02-25

お稽古_⑦ 小稽古:ようやく、再開& 〽淀の川瀬の水車 ☆☆☆☆

長らくストップしていた、ムスメの靱猿のお稽古ですが、25日(月)から再開です。
決して本調子ではないです。10分も謡ってるとゼェゼェいうてきます。しかし!あまり長く休んでいると、ムスメも忘れてしまいます(--;)

日曜日(24日)には、「〽淀の川瀬の水車(みずぐるま) 誰を待つやら くるくると」で有名な(って、書いてあったんですけど……有名なの!?)、淀城跡(淀君の居城とは違いますが)と復元されたらしい水車を見てきました。“鉄は熱いうちに打て”ではありませんが、せっかくイメージが膨らんだところで、それを無駄にしてはなりませぬ。
……えー。息も絶え絶えに、一緒に跳んで謡いましたとも!!orz
ムスメの方は体調も良くなって、しっかり声(猿語)も出て、元気よく跳んでいましたよ。
☞一度、みんなもやってみたらエエねん(;´□`)ノ
☞靱猿の「猿唄」の一節で、淀の川瀬の水車について謡っています。 

水車(みずぐるま)の謂われと、復元されたらしい水車が見えます。
☞ホントは、2基あったらしいですが。

ここいらは三川合流(桂川+宇治川+木曽川→淀川)と巨椋池。大阪湾からの水運の要衝であったことは想像に難くないです。
☞【追記】こちらの方のブログが詳しいです。「幻の巨椋池〜淀界隈を歩く:歩きを楽しむ
実は、淀城城主の稲葉侯とは因縁浅からぬ話が伝わっておりまして(^~^)
話せば長〜くなりますので、それはまたの機会に譲るとしまして、淀城の見取図やら、水車の画をiPhoneで写させてもらって(昨年の6月17日←高槻の大地震の前日!!)るのですが、無許可でブログに載せるわけにもいきませんので、これは特に秘す事にします(笑)
☞息子殿に話してやれるかと思いまして……。
☞淀城の図面を見てると、ホントすぐ横に川が流れてたんやな。って分かります。
☞ウィキペディアに拠れば、本格的な復元も行われる予定なのですかね?
☞噂では、高槻城もなにやら整備されるとか。流行ってんすか?
車がなかなか止められなくて(;^_^A
ようやく見付けた駐車場から、淀城跡の方を撮ってみました。
石垣の手前はお堀が残っているのですが、フェンスがあって近寄れませんでした。

ま、もっとも。
駐車場の方は、探し方が下手クソだっただけでしたが(^^ゞ
石碑の文字は稲葉侯の筆らしいです。
豊臣秀吉の御内儀、淀君の居城はまた別の場所ですって。
稲葉家を祀る神社ですが……。あちこち傷んでいる感が否めません。
お賽銭は勢んでおきました(僕にしては。)
輿杼(よど)神社の方は、立派でした。
ところで、第15回の徳讃会にお越しいただいた方には、初めの解説で少し触れましたけれども、狂言「抜殻」に登場する太郎冠者の移動ルート(もちろん僕の推定ですが?)で、淀鯉を買い求めに目的地として目指したであろう、淀の魚市場(の跡地)があるらしい事をお話ししました。
☞石碑が建ってるらしいです。


淀城に足を運んだついでに、前回の徳讃会前に訪問することが叶わなかった魚市場跡まで行ってみたかったのですが、腹を空かせ、飢えて機嫌の悪くなった子どももおりましたし、スケジュールの加減で断念しました(;^_^A 
☞車で10分もかからないらしい距離なんですがね(--;) 残念無念、また来年。



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