2015-01-29

抜歯_② こっちが本命なんです。

こいつのために、上の智歯が煽りを食ったといっても、過言ではないのです。

本当に悪さをしてたのは、左下顎の第3大臼歯(智歯)でした。
昨年12月に腫れ上がった歯ぐきには、本当に難渋しました。

ご存知の方も多いかも知れませんが、智歯を抜くと、歯ぐきに結構大きめな穴が開くことになります。
先に下顎の智歯から抜いてしまうと、上の智歯が下顎に空いた穴に食物などを突き込むことになってしまうそうです(そして、感染などを起こして治りが悪くなる…と。)
そのため、まず上顎の智歯を抜いて、ある程度その穴が塞がってから、本命に取りかかったという……(;_; )( ;_;)

今回、X線写真上、ちょっと抜きにくいのではないか……と歯科医師氏には懸念されていましたが、抜歯自体はホントにスッポリと抜けまして、麻酔や抜歯後の傷の処置に掛かった時間の方が長かったです。

しかしまぁ、その後の麻酔が覚めるまでが長かったです。「麻酔は2時間ほど効いていますので、あらかじめ、軽く食事などを召し上がってから御越しになることをおすすめします。」と言われてましたので、軽くゼリーなどを食べて行きましたけれども、抜歯後2時間半ほど左下顎、舌の左半分が痺れてました(--;)

そして、意外と痛みが残っていますし、周辺が少し熱を持って腫れてる気がします。先にやった上の智歯はあまり気にならなかったのにね。
そんなわけで、29日には経過観察と消毒に行く予定です。

息子殿の小稽古の予定日ですが……うーむ。どうしよっかな。
たまには、稽古なし!ってのも、嬉しいもんですよね(笑)

2015-01-27

お稽古_⑥ 楽しみながら!?

冒頭の内容は、前回のお稽古5回目の時の話なんですけども。個人的に面白かったので、今回のお稽古の記事と併せてブログにアップしたいと思います(むさい物が見えていますが、どうぞ御寛恕下さい。)

お稽古の時には、靴下から足袋に履き替えて、気分を切り替えます。
「靱猿」の時からそうしてきましたけれども、当時、いろいろ稽古前に渋る息子殿を如何にモチベーションを高めるか、腐心しているときがありました。
「靴下ドーナッツって、知ってる!?」
と、靴下の縁をくるくるとつま先方向に丸めていって脱ぐ方法を教えたのです。嬉しがって、足袋に履き替えてたように思います。

で。先日。
息子がやおら、
くつしたどーなつ、つくりまして。 おさらをしきましょう。
と呟きながら、作ってたのがこれです。

ドーナツの真ん中の黒いところ(どうしてもつま先は残りますから。)は、
ちょこれーとくりーむやねん。
とのことでした。
この、おさらのスゴいところは、なんとドーナツを包み、持って帰ることもできるんだそうです。(息子殿談。)







26日の小稽古は、だれ気味でした。明らかに稽古に身が入って居らず、モジモジして上の空で、とりあえずルーチンだけはこなしておこう。という気配がありありで(笑)

一通り、通しでやって一息つきかけたところで、「声に元気がなかったので(腹から声を出していなかったので)もう一度やります。」と初めからやり直しました。

ベソをかいてましたけれども、そこは容赦はしません。
息子殿も、その点は解ってきているのでしょう。腹を据えてやらない限り、何度でもやり直しさせられることを(笑)
何度も言うようですが、舞台の上では誰も助けてはくれないのです。学芸会ではないのです。ひと様にご覧に入れる以上は、それなりのレベルに達していないことには…ね。

しかし、泣き声の方が調子を良く掴んでいるのですね(笑)声も大きいし。

さてさて。
これからちょっとずつ、要求するレベルを上げていきましょうかね♪

2015-01-26

お稽古_⑤ 大稽古(便宜上、土曜日週1の稽古をそう呼称します。)

“二字め上がりの三段起こし”
何度も言うようですが、これは「大蔵流狂言での発声法の基本中の基本である。」と、我が家では伝わっております。
「以呂波」では、あまり修正を加えてこなかったのですが、今回の「痿痢」の稽古を進めるにあたり、そこは一先ずはキチンとやろうと思った次第です。

どうしても、一生懸命に声を出そうとするためか、語尾の方が(半ばやけくそ的?)に大きくなってしまいます。そういう癖のようです。
上述の基本に則るならば、二字めが強調されるので、実際はセンテンスの初めの方が大きくなるはずなのです。かといって、語尾の方で声が尻すぼみになってしまってもいけません。
と、なると、必然的に初めから大きな声を出せなければなりません。(あ。そういう意味があったのか……。)
(例:あえて、フォントの太さと大きさで表現を試みてみます。)
は、こあたりに、住まいたす者でござる。
初めは短く区切って反復していましたが、今は徐々に長いフレーズを繰り返すようになってきていますし、実際、その方が調子を把握しやすいかと思います。(僕もその方がやりやすい。)
語尾が強調される変な癖は、ちょっとずつですが、修正ができてきています。まずは師匠との発声の違いを聞き取れないとねぇ、再現性が下がりますから。

「本当にそう聞こえるのか?」「よぅ、聞いてみ?」と、言うと次には概ね修正できてるので、そこは指導者として一安心です。(あくまでも私見ですが、音感が悪かったり師匠に対し、何かわだかまりや反抗心があると、このあたりに支障が出てくるようですね。)

さてさて。
今週も小稽古を、一応2回ほど予定しています……が、そこは僕の智歯を抜歯(水曜日)後の回復具合にもよりますが…(;^_^A
僕もいろいろと思い出したり、言葉を覚えたりあるので、うまいこと段取りしたいものです。

2015-01-23

お稽古_③・④ 小稽古(平日のお稽古)

何か、稽古の回数とブログの進行が合わないなぁと思ってましたら、そうでした。19日の晩にも実は稽古をしていたのですが、次の日(20日)の朝にブーギーが逝ってしまったので、ブログに書けなかったのでした(;^_^A

平日の稽古(便宜上、“小稽古”と呼ぶことにします。)では、あまり細部までやるのではなく、あくまでも「耳を慣れさせる」「演目の内容が分かる(筋を覚える)」ということを重点に行っています。
しつこくやっても、息子殿は嫌気がさしてきて集中力も下がるし、あんまり効果が無いので、お互いに無駄なことは止めておこう!?……となるべく、サラリと済ませるようにしています(笑)
→そして何より?僕は夕食前でお腹が空いてるし、一昨日あたりからの偏頭痛がいつになくヒドかったのですよ。

ある程度、耳が慣れて聞き取れるようになってきたのか、
「とーちゃん、おれなぁ、ききたいことがあんねん。」
と、稽古が始まる前の体操の時に息子殿が言うてきました。
「え?なになに???」と尋ね返すと、
“わたくし”っていうやろ?あれ、どういういみなん?」
と、言わはります。
太郎冠者の言葉に「私(わたくし)」という一人称が出てくるのですね。
「どういう意味やと思う?」と尋ね返してみたら……。
→稽古の後に、妻から「息子殿は“わたし”という言葉が「女の言葉」だと思ってるので、いつも“オレ”を使う人だから嫌みたいよ?」と言われたのですが。

僕に対しては、
「おれはなー、“わたくし”ってわたあめのなー、“わた”とわたあめにささってる“もつところ”(つまり、串?のことか???)のことやとおもうねん。」
「綿菓子の、串のことかいな?」と言うと、「そう、そう、そう、そう。」 と、言ってはりました。 (しかしまぁ、なんと、斬新な解釈(°□°;))
まぁねぇ、今、別にそれを厳密に理解せんでもええかな?とも思ったので、「そーかー。」と答えたんですけども……(;^_^A

ま、そんなわけで。ボチボチと進んでおります。一部は既に覚え始めてるようですね。
そして、僕はといえば、稽古後は頭痛もスッキリとれて、治っていたのでした(´∀`)

2015-01-21

我が友が旅立っていきました。

昨年12月30日の餅つきの折に撮影
(これが最後のツーショットになりました)
思い起こせば。
鍼灸の専門学校を卒業し、はり師・きゅう師の国家資格を取得できたら、
  1. 家を出て一人暮しを始めてみる。か、
  2. 自分が選んだ犬を飼ってみよう。
と心の中に決めていました。

そして。犬を飼うことにしたんです。
我が師に「犬のしつけも出来んやつが、自分の子どもを育てられるかい!犬を飼うてみろぃ」と言われたのもあります。
いろいろと、犬を飼うにあたっての留意点とか、しつけの方針とか、事前に調べまくったように記憶しています。(そして、アンチ・ペットショップ派になりました。)
紆余曲折を経て、ご縁あって知り得た、NPO法人 アニマルレフュージ関西(ARK)(捨て犬・捨て猫のシェルター)に保護されている犬の里親になることを決意しました。
ま。人間はものすごく雑多な血筋なのに、犬だけ血統書付き。ってのも非常にアホくさいことだ!と思ったのもあります(意見には個人差があります。)

上述のARK敷地内に作られた、1坪程の庭付きゲージに入ってる犬を見せてもらいながら、いろんな犬に近づいてみました。警戒して牙をむいて吠えまくる奴も居るし、小屋の中でビビって出てこないのも居るし、あるいは無頓着に寝たまんまってのも。
そんな中、ホントにBoogieだけが、声を掛けると静かに僕の側に寄ってきて、檻越しにそっと手の甲のニオイを嗅いで、小屋の中へ戻っていきました。

次の週、再びARKを訪れた時。Boogieはちょっと動きが機敏でした。そして、リードを借りて少し散歩をさせてもらったんです。(他にも何頭かと。)
そして、ブーギーとなら上手くやっていけるだろうと思いましたね、その時。

実際に飼ってみると、初めの静かなイメージは全く嘘でした(犬なのに、猫被ってた!ww)実は、ものすごくひょうきんで、おだてれば大喜びする犬でした。(ベースは残念なお笑い路線。)家族にもとても優しかったです。晩年は僕の息子や娘を見守るおじいちゃんみたいな存在でした。
でも、ある時は野良アライグマと格闘して追っ払ったり、満身創痍になりながらも外敵を追い払う、闘争心や度胸も満点でした。(ラブラドール系と猟犬系が混じってたものとみえます。)

月日は流れ。
ブーギーの真っ黒だったマズル付近に、白髪?が目立つようになってきて。
昨年11月あたりから、見当識障害のようなものが見受けられるようになりました。何もない中空に向かっていつまでも吠えていたり、奇妙な夜鳴きをするようになりました。道行く人に無駄に吠えたり……。あと、両耳が物理的に聞こえなくなっていたものと見えます。こちらの声の指示が分からない様子でした。
獣医師からも「おそらくは、認知症の始まりでしょう」「目は見えていますが、耳はおそらく聞こえていません。」という話がありました。
いよいよ要介護状態も覚悟せねばならぬか……と老犬介護を考えていた矢先でした。

そして、1月20日の朝6時40分ぐらいでしたでしょうか。妻が「ブーギーの様子がどうもおかしい。」「見てあげて欲しい。」「ブルブル足腰が震えて立てなくなってる」と寝室までやってきて言いました。まだ僕はベッドから起き上がったぐらいでした。
すぐ後に「早く来て見てあげて!絶対何かおかしい!」と言い残して階下へ降りていきました。その時もまだぼーっとしてたように思います。(とりあえず日課のスクワットをしてたでしょうか。)
その次に妻が来た時、「ブーギー死にかけてる!もう、死んだかも!!」と言われて、ようやく事態の深刻さを理解しました。

妻と共に傍らに寄ると、パッと見る限りブーギーは腹臥位の状態で、目を見開き、尿と便の失禁、流涎があり、心肺停止状態のようでした。
まさか、心肺蘇生法の資格を取って、初めての生体への実践が、自分の飼い犬になるとは思ってもみませんでしたけれども、すぐ側臥位にしてCPRを始めました。(帰ってこーい!って。)

息を吹き返したところで、少し呼吸の様子を見つつ、犬猫病院へ搬送することも考えました。ただ、努力性呼吸であろう事は推測できたので、これから受け入れ病院を探しても、受け入れ先に搬送中に死亡する可能性が高いのなら、このまま看取ろうと思いました。(実際、深く大きな呼吸でしたが、20回もしないうちにそれも止まり、さらに失禁もしましたので。)

その後5、6回でしょうか。しゃっくりのような、大きく仰け反るような吸気をして、死の転帰を迎えました。

ブーギーが居てくれたお陰で、僕の人生は楽しく豊かなものになりました。そしてブーギーは長きに渡り、僕や家族を見守り続けてくれました。
いつか来るであろう彼の死に際して、僕は最期の看取りが出来るのか。それが心配でしたけれども、図らずもいまわの際に立ち会うことが出来ました。
僕の方はとても寂しくなりますが、ブーギーはきっと寂しくなかったと思います。

今までありがとう。さようなら。

2015-01-19

お稽古_② ただ、ひたすらに。

土曜日。
この日は、幼稚園の特別行事があって息子殿と妻と娘は朝から登園(参観日?)。
その間、先に僕は師匠から稽古を受けることに。

「花子」は2月からかかる。と我が師の仰せでしたので、まずは「瓜盗人」のシテから。一度、アドの畑主をさせてもらったことがありましたが、僕が個人的に好きな演目です(実は、いつか徳讃会でやってやろう。と虎視眈々と狙っておりました。)
いろいろと出入りの多い、たくさんの要素の詰まった演目です。
☞また、その辺の所はいつかブログで取り上げてみようかと思います。

午前中はみっちりと師匠からの教授を受け、午後から息子殿の稽古となりました。

例によりまして「聞いた通りを反復する」という作業を繰り返すわけですが、少し気になったのが、何やら語尾がことさら強調されるように聞こえます。
例えば、
「かしこまって御座る」☞「かしこまって、御座る!
と、息子が言っているように聞こえるのです。
それは違うので、何回か言い直しをさせるのですが、上手くいくときと、ダメなときとあるわけです。大きな声を出そうとして、そうなりがちなのでしょうか。
そう言えば、高和会で教えている方も若干そういう傾向があったなぁ……と思い至ったわけですが、これは僕自身の「癖」なのでしょうか……。

ただ、語尾が尻すぼみになってハッキリしない、客席に聞こえないのも、これまた拙いわけです。これは逆に以前に僕が我が師からよく注意を受けていた点です(☜最近はあまりないですが、別のことを指摘されています^^; )

ひとまず順調に稽古が進めば、2月中には言葉を覚えてしまい、3月から型の稽古に入ろうかと思うのですが、ちょっとこのようなこともあり、やはり以前と同じような感じで、週1の「大」の稽古と平日の「小」の稽古を組み合わせてやっていこうということになりました(;^_^A

息子殿は、今回のお稽古シーズンに、自分自身の手作りの「シール帳」を用意していますので、モチベーションもやや高めです。
小っさいお稽古が増えれば、シールを貼れる機会も増えるので、やぶさかではないようでした。
☞戦隊物の切り抜きの装丁は、彼の自己主張なのでしょう。
(ただ写真は、絵本を読んでいる最中に、無理矢理撮影を頼んだので、ちょっとふてくされてます。)
装丁(カバー)の、少し厚手の紙の上に、薄紙(青海波?っぽい模様が入っています)を置いて、さらにシールを貼る台紙になる紙を置き、背面中央(背表紙)からステープラーで留めています。(見開きの本になります。)
☞実は厚手の紙は、エンボス加工もされています。

中表紙を「痿痢之伝」と物々しく書いております('-'*)
あ!後は落款でも押してやれば良いね。本格的になるかも(笑)




ふてくされてる息子殿に、カバーと薄紙を開けて、表紙を見せてもらいました。









第1回目の時はちょっとスペシャルなシールを貼ったのですが、N700系のAでしょうか?

しかし、自分のお小遣いで帳面を買うようなことを言っていましたが、手作りとは……ね。
トークン・エコノミー・システム、なかなか恐るべし。というところでしょうか(笑)

今回は、こんな感じで進めて参ります。

2015-01-15

抜歯_① それは退化なのか進化なのか。

実は、4本とも智歯(第3大臼歯)が生えていたんです。ガッツリと。

昨年12月に、左下顎の智歯付近が激烈に腫れ上がりまして。行きつけの歯医者さんにも以前から指摘されていた事態となったわけです。
そして、増悪・寛解を反復するようなら、いずれ虫歯になる可能性も高いですし、根治のために抜歯も検討しましょうとも。(キッチリと丁寧にインフォームドコンセントをして下さる先生です。)

確かに、疲れが溜まったり体調が低調気味なると、痛みと腫れが惹起することがよくありました(歯科にかかるほどではなくとも。)
先生や衛生士さんにも説明したのですが、
  • 前医では、親不知は4本ともしっかりと生えているので、温存する方向が好ましいのではないかと言われていた。
  • 抜歯するとなると口腔の状態が悪くなる。当然に、痛みや腫脹で稽古や出演にも差し支えるかも知れず、それは大変困る。
☞それ故、今まで積極的な治療(抜歯)を躊躇していたのもあります。

今年は、10月に大曲の披きを控えているのもあり、後顧の憂いを残したくないと言いますか、懸念材料をなくしたいと言いますか、この際、暇をしている(?)この間に治療しておくべきかと一念発起しました。
そう。釣狐を披くときに、右膝の腫瘍摘出術を受けたように。

しかし、なんでガッツリと4本とも生えてしまったのでしょう。世の中には智歯が全く生えない人もいるというのに。
☞実は、大学時代の同じサークルの友人に1人いたんですけどね。

僕は、
「智歯が生えないのは、ヒトとして退化しているのダ。」
と主張し、その友人は、
「むしろ進化していると言ってもらいたい。私は新人類ダ。」
と双方、頑なに譲りませんでした(笑)
結局、
「智歯が2本生えてる人は、根性なしダ。」
という点で、合意に達した(爆)のであります。

ところで。
抜歯は、1時間近くかかることが予想されていたのですが、先生の腕がよく(衛生士さん談)予定より早く抜けました(歯の脚の1本が途中で折れたので、骨を少し削ったそうですが)
お陰様で抜歯自体も痛みを感じることはなく、抜いた歯も思っていたより綺麗に抜けていました。
鉗子?でグッと歯を掴み、揺すって、「びくともしませんね。」と先生がおっしゃってたので、粉々に破砕するものだと思っていましたが、二つに割れている程度でした(写真撮ればよかったですね……。って要らんか!? 笑)

さてさて。これはまだ、序の口。
今の上の歯の症状が治まってから、今度は本丸の左下顎の智歯を攻めることになります(;_; )( ;_;)
☞なぜ、左上顎からの攻略になったか。というのは、また今度。

右側も抜かないといけないのかなぁ……。

2015-01-14

舞初式を執り行いました。

現在、趣味の大蔵流狂言「高和会」では、1名の方が大蔵流狂言をお稽古されていますが、13日が今年初めてのお稽古日でしたので、舞初式を執り行いました。

今年は僕が主宰者として、裃を着け、古式に則り、灯明を上げ、拝をし、盃を供え、語りをし、小舞を舞い、盃事を行ったのであります(詳細は特に秘します。)
後で感想を聞くと、「大変貴重なことを体験させていただいた。」という趣旨のことを言うてはりました。
そりゃあ、そうでしょうとも(笑)、お稽古してない人には観られません。(…そういや母も妻も見たことないって言ってたナ。)

かつては、毎年1月15日(小正月)の祝日に、祖父の社中が皆さん御見えになって、舞初式を執り行っていました。
幼い頃は、割と長いこと(のような記憶があります。)座らされて、祖父の語りの後、玄三郎翁と長德師、祖父の弟の幸四郎師が「三人夫」を3人で謡い舞っている間、ポツンと独りで待っているわけです。
そして、僕が呼ばれて初っぱなに「土車」を舞うわけです(土車を忘れてるお社中は、僕の舞いを見て、思い出してたのかな!?)

お社中は全員「土車」を舞うので、入れ代り立ち代り舞手が替わり、地謡はみんなで謡うのです。
祖父からは「元気よう、大きな声で謡わんかい。」っていつも言われるので、大きな声で地を謡うのだけど、大人に混じった子供の声は、妙に甲高くうまく調和できなくて、声変わりまでは居心地が悪かった記憶があります。(それでも、頑張りました。 笑)

仕上げに?盃で日本酒を戴いて(これも辛くて嫌だった 笑)そして、米と塩を口に含むんだけど、いつも心の中で「なんで、生米!?塩、しょっぱいし!!」って思ってましたね。

何か幼心には、不思議な舞初式だったのですが、楽しみなこともいくつかありまして。
お正月に父方の祖父母、両親からお年玉をもらった記憶ってあまりないのですが、お社中のうち「坊ン、お年玉どうぞ。」って妹の分と一緒に下さる方もいて(笑)
それが、とても楽しみでした!!(爆)

そうそう、直会(なおらい)での「福引き」という定番行事がありましてね。
小謡や狂言の一節などに品物をなぞらえて、景品を各人が準備するわけです。ちょっとしたプレゼント交換です(笑)
秀逸なのもたくさんあったのですが、ぜーんぜん思い出せないので、あまり良作とは言えませんけれども、例えば「福の神」→「拭くの、紙」→「トイレットペーパー」を出品したりですね(大二郎氏は、あぶらとり紙を出品された方がいました。と言うてはりました。)

祖父が「福の神」の一節を謡い、おもむろに披露するのですが、袋の中に隠れた中からどんな高貴な神が出てくるのか!?と思いきや、トイレットペーパーというギャップが面白かったりするわけです。

大人の宴会には興味なかったですが、我が師がくじを引かせてくれたり、それで当った品物をくれたり……。
そういうのを何となく思い出したのでした。

2015-01-12

お稽古_① いよいよ、はじまりました。

10日は、本年第1回目のお稽古となりました。
第8回「狂言を楽しむ 徳讃会」では、息子殿は狂言「痿痢」の太郎冠者を演じることになります。

例によって、発声法や科白は口写しによる伝授ですが、我が家では慣例的に?稽古の前に軽く体操やストレッチをして身体を動かし、ほぐすことから始めます。

そして、脇正面にてお稽古となります。

御覧の通り、舞台の笛柱際には祭壇を設えてあり、白式尉、黒式尉、面箱、中啓、鈴、榊、灯明、三宝の上には瓶子や盃などが置かれています。
また壁面には御神號の書かれた御軸と、紙垂が懸けられています。

本来ならば、舞初式を執り行ってからの初稽古となるのでしょうけれども、実はまだ小舞の「土車」を教えていませんので、今回はなし^^;
年末には、僕1人で、こんな感じで舞台の注連縄を張りまして(息子に手伝わせたかったんですが)

祭壇を設えたわけです。



さて。
僕はと言えば、「花子(はなご)」のお稽古始まるか!?と少し緊張しておりましたが、用意した「花子」の書物の確認に終わりました(確かに、入念な準備は肝要です)
そして「痿痢」について、間違いが無いか師匠に改めて確認と、教えを請うた次第。

特に今回、伝授を受けたのは、「舞初式」の次第についてです。
赤い手書きの所は、僕が書き込んだ口伝に類する物のメモです。

ま。みだりに人にお見せするものでもないと思いますので、モザイクを掛けておきます。

13日には、我が家の社中がお見えになるので、舞初式を執り行います。
僕は裃ですね(朝から蔵に入って、裃一式を出してきて用意しました。)
それにしても、主宰者の1人ともなれば、いろいろとやるべき事が増えます^^;

2015-01-08

書物(台本)を用意します。

10日から、

息子殿に第8回「狂言を楽しむ 徳讃会」(本年5月17日@善竹能舞台)での、狂言「痿痢」(しびり)を教え始める予定なのですが、僕の手元には「痿痢」の書物が二手ありまして。

筆跡から推し量るに、一つは玄三郎翁の手によるもの。もう一つは、おそらくは我が師の手によるもののようです。僕はとりあえず、玄翁の書物をベースにして写し終わった(Wordの書類にした)わけです。
原典と写し終えたデータとを、一通り内容の確認をして、難読漢字や独特の読み方をするものにはルビを振って…読みやすいよう適宜改行したり、スペース空けたり……。
ふと思い立って我が師の手による書物ともデータを突合してみました。

そして……にゃんと、微妙に内容が違う部分が3カ所ほどある!?
ってことに気付きました。

何故、そのような事になっているのか未詳なのですが、玄翁の書物で「ちょっと意味が通らないのでは…?」と、写しながら思っていたところが、我が師の方では改善されていました。また、玄翁の書物では「イヤ申し」となっているところが、我が師の方は「イヤ申し申し」と反復しています。(もう1カ所は失念 ^^; )

「イヤ申し申し」と反復する箇所がもう一つあるので、そちらとの統一をはかったのか、あるいは写し間違いなのか……。(意味は通るので、実はどちらでも問題ないです。)

そのあたりを僕だけの裁量だけで決めて良いのか、アカンのか(笑)
とりあえず印刷・製本はペンディングして、我が師に諮ってみようかと思っている次第……。☜イマココ New!!

今回も

トークンは導入しますが、殊勝にも息子殿、
おれなぁー、おとしだまののこりのおかねでなー、しーるちょう、かおうとおもうねん。
それ、ええやろ? 
などと言うとりました。
自分のお小遣いで、稽古のためのノートを買うというのか!?(^-^;
-`).。oO(自分のおやつ、買やいいのに……。

ま、それで息子殿のモチベーションが高まるなら、それは願ったり叶ったり。(わざわざ僕が買ってくる必要は無かったのです…orz)

そして。

僕の方も極重習「花子」の書物を渡されました(一番プレーンな?状態のヤツ)
「書物作っておけよ。」
と、我が師の仰せでしたので、こちらも自分用に改編するなら改編して、写しておかなければなりません。

ってか、11日の第1回目に間に合う自信がないんですが……(--;) ☜内容はね、超・濃いぃです!!
はてさて、どうしたもんでしょう!?(滝汗)

2015-01-05

岐阜新聞(西濃版 平成26年12月18日付)に掲載されました!

過日、岐阜県養老町立上多度小学校へ訪問したことを拙ブログにも書きました(文化庁による「学校への芸術家派遣事業」)が、その折の内容が、岐阜新聞(西濃版 p.24)に掲載されました(岐阜新聞社提供/2014.12.18

このような形で新聞に載るとは思ってもみませんでしたので、とても嬉しいことでした(笑)
ちなみに、当法人では「狂言師」という通称を用いずに、正式名称を使うようにしています。(原則的に「能楽師 大蔵流 狂言方」あるいは「能楽師 狂言方(大蔵流)」と表記しています)
ですので、新聞の記事に「能楽師」と記されていても、それは間違いではありません。

ついでなので、当法人にて手がけている学校狂言についてもう少し説明を加えておきますが、当法人では公演を承ると、先生方の御要望(学習の目標:学習指導要領に準拠、授業時間)やスケジュールを盛り込みつつ、僕がタイムテーブルを構成します。ですので、簡単で良いので企画書のようなものがあると僕も仕事がスムーズに運びます。
また、公官庁へ提出する書類なども、タイムリーに指示があれば、すぐに調べて作成しましてよ(笑)

おおよそ、こういう流れで行います。ということを先生方や我々と共有できるようにしています。(実は徳讃会でも毎回作ってますです、ハイ。 笑 ☜マメでしょぉ?)

ま。もっとも。
この時は時間が足りなくて、「通し稽古」ができなかったんですが……(でも、これを省くとちょうど持ち時間内に終わることができたわけです。)

学校にも時間割、児童、生徒のご都合がありますので、それを度外視することはできませんよね。




こっちのは、2日目の流れですね。
「タイムテーブルが必要。」というのは、うちの理事長殿(我が師なる人)の強い要望というのもありますが、口頭や文字だけのプリントで相手方に説明するよりも、こうやった方がよいように思われるからです。(そして僕もよく把握できるので…。)

一応は、このように決めてはおりますが、やはり急遽内容を変更する場合もあります……ね^^;

用意いただきたいもの、必要なものなども列記しています。


また、こうして感想文などをいただくと、とても励みになります(o´∀`o)

一生懸命、書いたんだろうなぁ…。と思われる内容がほとんどでした。(本当にありがとうございました。) 
やった甲斐があったというものですね(笑)
授業のまとめでも申し上げたのですが、こういう鑑賞の機会に、狂言に限らず、日本の文化に興味を持って頂けたら幸いです。(能、歌舞伎、人形浄瑠璃などにも少し言及しましたけども。)



と、いうわけで。
私ども法人へのご依頼は、コチラ(一般社団法人高和会善竹能舞台公式ウェブサイト)より承っています。また、「文化芸術による子供の育成事業芸術家の派遣事業)」については、専用サイトを御覧下さい。
☞ってか、平成27年の募集期間は1月7日(水)までですね(爆)急いで!!
☞昨年の上多度小学校は、追加募集(二次募集?)だったように思います。

さてさて。
年も改まって、いよいよ次の第8回徳讃会に向けて、息子殿の稽古が再開します。
また、その辺もブログに載せていきたいと思っています。
息子の出演する演目は……「痿痢しびり)」です(°□°;)
☞これまた、いろいろと屁理屈言って怠けようとする太郎冠者の話です。息子殿にははまり役でしょう(爆)


2015-01-01

あけましておめでとうございます。(1/5、加筆しました。)

あ け ま し て
お め で と う ご ざ い ま す。
旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。

さて。

とうとう、メモリアルイヤーがスタートしましたよ!ブッシュミルズをチビチビ啜りながら、何やら記しております(´∀`)

閑話休題。

かねてより申し上げているとおり、
  • 善竹能舞台が創建されて、50周年となります。
  • 一般社団法人高和会善竹能舞台を設立5周年を迎えます。
私ども法人が主催する「狂言を楽しむ 徳讃会」は、第8回は本年5月17日(日)14時〜となっています。僕が釣狐でもお世話になりました、お笛方の赤井要佑氏のご出演もお願いしておりますよ(´∀`)
☞ファンの方はこう御期待ですよ!!

そして。

第9回は本年10月25日(日)14時〜です。なんと私儀、大蔵流狂言の極重習「花子」(ごくおもならい「はなご」)を披くことになりました!
実は、個人的なことですが、
  • 今年なんと、40歳になります。(不ですよ、不。☞※【追記】参照のこと)
  • これまたなんと、結婚10周年です。
江戸善竹、十郎師によると「これぐらいの年代で、妻帯して10年ぐらいで披くのはちょうどええのや。」ということでした。
第9回には、おなじみの善竹忠亮氏、大二郎氏、また東京からは十郎師、富太郎氏もお招きして、賑々しく開催いたします。

メモリアルイヤーに相応しい内容で、今年も邁進して参りたいと存ずるところです。
拙ブログを御覧の皆様も早速、スケジュール帳もしくはカレンダーに早速記入しておきましょう!!(ハイ、これ重要! 笑)
 
本年も、なにとぞ皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げます。