お め で と う ご ざ い ま す。
旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
さて。
とうとう、メモリアルイヤーがスタートしましたよ!ブッシュミルズをチビチビ啜りながら、何やら記しております(´∀`)閑話休題。
かねてより申し上げているとおり、
- 善竹能舞台が創建されて、50周年となります。
- 一般社団法人高和会善竹能舞台を設立5周年を迎えます。
☞ファンの方はこう御期待ですよ!!
そして。
第9回は本年10月25日(日)14時〜です。なんと私儀、大蔵流狂言の極重習「花子」(ごくおもならい「はなご」)を披くことになりました!
実は、個人的なことですが、
- 今年なんと、40歳になります。(不
惑ですよ、不惑。☞※【追記】参照のこと) - これまたなんと、結婚10周年です。
第9回には、おなじみの善竹忠亮氏、大二郎氏、また東京からは十郎師、富太郎氏もお招きして、賑々しく開催いたします。
メモリアルイヤーに相応しい内容で、今年も邁進して参りたいと存ずるところです。
拙ブログを御覧の皆様も早速、スケジュール帳もしくはカレンダーに早速記入しておきましょう!!(ハイ、これ重要! 笑)
本年も、なにとぞ皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げます。
【追記】
このブログを御覧になった方より、「論語」に記されていた内容は、本来は「不惑」ではなく「不或」と記す方が好ましいのではないか。という御指摘がありました。
こちらの記事(能楽師下掛宝生流ワキ方)の安田登師によると、
【追記】
このブログを御覧になった方より、「論語」に記されていた内容は、本来は「不惑」ではなく「不或」と記す方が好ましいのではないか。という御指摘がありました。
こちらの記事(能楽師下掛宝生流ワキ方)の安田登師によると、
- 孔子の時代には「心」という概念・漢字がなく、
- 「惑」という字も、本来は「或」という字であったのではないか。
ということなのだそうです。これにより、
“四十、五十となると『自分はこんな人間だ』と人は自分を限定して考えがちですが、孔子は『自分を限定してはいけない』『もっと可能性を広げなきゃいけない』と言ったのではないかと思います”(上記記事より引用)
なるほど。
誤解を恐れず申し上げるならば、「枠にはまるな。」という意味になるのでしょうか。
もっとも…。
不肖の身としては、「いかに可能性を広げるのか!?」というあたりで、やっぱり惑いそうな気がいたします(笑)
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