土曜日(午前)
午前は例によりまして、舞台の掃除と僕の稽古とありまして。僕の方が意外と早く終わりましたので、この勢いで子ども達も稽古やっぞ!!という事で、けしかけたわけですが、とことんマイペースの息子殿は、ダラダラとして全く稽古場にやって来ず。
ムスメと僕が先に始めて、一通り稽古をやり終える頃に「おくれてすみません」という感じでやってきまして(*`Д´*)
2人でやる狂言やのに、何を遅れてるねん(-.-#)
何のために兄妹2人で稽古させてるのか、わからんのか?
妹にもう一度、一緒に稽古して下さいとお願いせぇ。と、申しますと、妹にお願いしてましたわ(-_-#)
都合、ムスメは2回繰り返す事になるわけです。(ずーっと正座でね。)
声の元気さからいえば、ムスメの方が上ですね。
小名クラスの役柄は、落ち着いた感じは必要かと思うのですが、それでも子ども狂言ですから、元気よくやるのがポイントです。
その点を注意して、あまり長引かせずに終えました。立ち稽古になればそれなりに気合いも入るでしょう(;^_^A
科白も概ね、2人とも何とかほぼ及第点に至るようになってきた感じです。これが波がなく平均的になってきたら、なおよしです……。
今月末までしっかりと科白をマスターさせたいところです。
土曜日(午後)
午後からはちょっとお勉強に。妻と行って参りました。主宰者お一人は、ファザーリングジャパン関西の御縁で初めてお目にかかり、徳讃会にもお運びいただいている方です。とてもパワフルなドクター氏です(≧∀≦)/
また、メイッコの通う保育園の理事?もなさってたかな?(メイッコの担任の保育士さんにもお目に掛かれました。)
基調講演、シンポジウムの内容ともに、とても興味深く拝聴しました。
高槻現代劇場でのシンポジウムに立ち寄ったついでに?と言ってしまっては失礼なのですが。
野見神社にも参拝して参りました。
実は新しくなったらしい、舞台を拝見したかったというのもあります。
仄聞するところでは、高槻城主だった永井直清公は能に堪能であったとか。
野見神社にもかつては能舞台があったわけですが、戦時中に橋掛りと鏡板部分が破壊された。という風に祖父から聞いておりました。
それをどうやらこの度、復活なさったみたいです。
曾祖父 善竹彌五郎の父にあたる、茂山忠三郎良豊の残した記録には、高槻の旧城郷社で狂言を勤めた旨が書かれています。
高槻市は、拙家とは因縁浅からぬ土地なのです(≧∀≦)/
ただ、この能舞台。
主に拝殿として用いられるご予定なのでしょうか。惜しむらくは地謡座が無いような感じです。
郷社 野見神社の石碑が見えます。 |
これら写真は、「高槻市と一般社団法人高和会善竹能舞台のかかわり」という観点から、大蔵流狂言講座を開かせていただいた時(講演の御依頼を承った時)に、プロジェクターで掲出するために撮影したものです。
かつて、能舞台だった(と、聞いております)部分がこの時はお隣のえびす神社と近接していて、橋掛りの構造が喪われていたことが分かります。
上の正面の写真と比較し、背景の建物の位置関係から推察するに、今回、舞台構造を北側にずらして再建されたようです。(えびす神社は南側に?)
左:えびす神社/右:能舞台(拝殿) |
なんか嬉しいものです(≧∀≦)/
たぶん、5月にはジャズライブの時にはステージにもなさるんじゃないでしょうか?(外部電源のソケットも舞台の左右に造設してあったので、PAなど接続できるのでしょう。)
こちらは、永井公を祀る石碑でしょうか。
野見神社の横には、永井神社という神社もあります。確か以前までは中には入れなかったように記憶していますが、今回こちらを撮影できました。
あと、余談なんですが(笑)
お妻様に日ごろの御愛顧の感謝と、徳讃会の慰労を兼ねて、ビアホールで馳走いたしました。
ま、僕は相も変らずグビグビ喉を潤しましてね(笑)
いつもこんな感じで飲んでんねんデ!…と(;^_^A
それから、福田バーへ。
お妻様に合わせて作っていただきました(≧∀≦)/もしかしたら、子ども産まれてから二人ででかけるのはじめてやったかも知れませんナ(°□°;)
しかしまぁ、帰ろうとした頃に、まだ日が暮れてなかったのは 奇 跡 だ っ た で す !
☞僕一人の時は信じられんです!!
☞次の日の朝で、空が痛いほど眩しかった……ってことは、学生の頃は何度かありましたけども。
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