東京の善竹狂言会、無事に終わりました。
何度も申し上げますが、昨年7月23日にオファーを受けてから、万難を排して臨みましたよ。
たしかお話を受けたときは、まだ僕が釣狐でゴリゴリに稽古で絞られてる頃でした。狐に終わりつつ…また猿が始まるのか!?と思ったのを覚えています。
東京の大舞台に、息子を初舞台で臨ませるというのはさすがにリスキー……。では、どうするか……!?のるかそるか、清水の舞台から飛び降りる心地で一晩考えて結論を出したのでした。(主催の十郎師には、こちらの出した諸条件を御快諾いただき、万全の態勢を敷いて下さいました。)
その頃、
僕個人的な考えでは、平成26年秋ごろの第7回「狂言を楽しむ 徳讃会」あたりで「以呂波」で初舞台かなぁ……。などと、なーんとなく心づもりしていましたが、今般の善竹改姓50周年記念公演に出演が決定した事から、第6回の「狂言を楽しむ 徳讃会」(正しく、ホームの舞台にて)にて初舞台を踏ませる計画を立案したのでした……。途中で骨折したり、風邪をひいたり、稽古のままならぬ日もありましたが、何とか…ようやく……この、一大プロジェクトが完結したのでした!!(もうね……ガックリと老け込んだ感じがしますヨ。)
さてさて!!
恒例?の楽屋風景でございます(笑)
左(小猿):息子、中央(猿曳):師匠、右(太郎冠者):僕です。
※大藏千太郎氏に撮っていただきました。ありがとうございました。
こちらは、関係者ならではのアングルですよね。
五色の揚げ幕の裏側です。
さぁ!いよいよ!!これから!!!というところですね(笑)
→小猿はカメラ目線ですね^^;
実は、こちらの「小猿」面は、祖父玄三郎の手によるものです。1955(昭和30)年5月に製作されています。
そう考えると、今回の善竹狂言会における靱猿は、祖父:玄三郎の面、父(師匠)と僕と息子と、親子4代の共演でもあったわけですなぁ(笑)
何やら、妙に感慨深いです。
善竹一門では、久しく男児が誕生していませんでしたので、子方(こかた:子役)の出る狂言も珍しかったという事もあるでしょう。
また「花子」という、しっかり、どっしりとした極重習の狂言のすぐ後に「靱猿」という朗らかな演目(しかしこれも小習の演目)ということもあり、お客様には非常にお喜びいただけたようです。
大名と太郎冠者の「道行き」の間に、幕から猿曳と小猿が登場しただけで、大名と太郎冠者のやり取りが掻き消されるほどの?拍手と歓声が上がり、僕自身が正直驚きました(°□°;)
身繕いや、ころりと横に転げただけで、拍手や笑い声が興り、世阿弥の言うところの「時分の花」の持つ威力とは、こういうことを言うのであろうか……。などと、思っていました。(しかし、お猿のしぐさについては、嵐山までニホンザルの観察に行った甲斐があったというもの。)
太郎冠者はですね、後半特に仕事も無くなりますので、なんとなく全体を俯瞰できるようなポジションにあるわけですが、ちょいちょい「んんっ!(;・∀・)」という瞬間もあり(笑)それに、小猿が上手く対応できるか……。かなりハラハラする瞬間が何度も(爆)あったのですが……(胃に穴が開くかと思うたです。)
大勢のお客様の拍手や笑い声に動じる事もなく、無事に小猿はやってのけてくれました。そして、何か時分の花で全て引っ掠っていった感じです(;^_^A
第6回徳讃会の靱猿と、今回の善竹狂言会の両方を見に来て下さった方のメッセージを一部引用させていただきますと、
善竹一族の爆発力をみた!笑!すごいパワフルで熱い舞台だね〜!というご感想をいただきました。
そうでしょう、そうでしょう!!(笑)
そのような催しに、親子で出演できた事を大変ありがたく思う次第です。
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