2014-10-23

お稽古_㉑(補習) 白洲正子氏の話を思い出した件

さて。

これから、クソまじめに為になること(ごくごく当たり前のこと)を、かしこまって書いてみます。

狂言には、
  1. 登場人物同士の対話としての科白
  2. 登場人物の内心を吐露する科白
  3. 見所の観客に対する説明的な科白
が、あります。
わざわざそう説明してみるのは、科白にはそういう役割があることをイメージできれば、内容を把握してもらいやすいのかな。と思ったりするからです。
え!?他の演劇もそうよな!?
と、お気付きの方……。正解です。
だから、初めに(小っちゃく)書いたやないですか。ごくごく当たり前の事を書く…って(笑)

それを踏まえて。

舞台上の我々出演者は何をしているのかというと、向き合って話したり、脇正面に外してみたり、正面を向いてみたり……というように、身体の向きを変えたり、声の調子を変えることで、それを表現していたりするわけです。(その辺は、第7回「狂言を楽しむ 徳讃会」の3曲目の「柿山伏」には特に顕著に出てくるのではないでしょうか。☞ちなみに、残り3席です。ぜひお急ぎを。)

ただ……。

それが息子殿には、まだ難しいのでしょうか。身体の向きが中途半端な方向だったり、イマイチきっちりとした「型」としての体をなしてないところがあり、「さて、どうしたもんかね……。」と思っていました。(それは、やはり中途半端はかっこ悪いですからね。)
なので、苦肉の策として、
  • おへそを前に向ける(正面) 
  • おへそを向こうの柱(大臣柱)の方へ向ける(アドと対面) 
  • おへそを幕の方へ向ける(舞台上には登場しない召使いに呼びかける)
というような事を言っていました。
しかし……どうもやっぱり、何かしっくりこないんですね。うまく指示が通ってない感じがする。

そこで、ふと標記のことを思い出したのですよ。
以前に友人が、白洲正子氏の著作を読んでいて、同氏が能をお稽古されていた折りのことが書いてあり、
乳房に目が付いているように思え!
と、指導を受けたと書いてあった。と教えてくれたことがありました(うろ覚えなので、正確ではないかも知れません。)
両乳頭が「目」だと思って、その目で見るように体幹を動かすことで、体幹を正確にコントロールする(……という概念でよかったと思いますが。)

そう。

息子殿に、「両方のおっぱいで、こっちをピピピピ…と見る感じで、動いてごらん。」「今度は正面を見て…。」と、やってみたんですな!
これは息子殿のハートをわしづかみにしたようですナ!!

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