さて。
これから、クソまじめに為になること(ごくごく当たり前のこと)を、かしこまって書いてみます。狂言には、
- 登場人物同士の対話としての科白
- 登場人物の内心を吐露する科白
- 見所の観客に対する説明的な科白
が、あります。
わざわざそう説明してみるのは、科白にはそういう役割があることをイメージできれば、内容を把握してもらいやすいのかな。と思ったりするからです。
え!?他の演劇もそうよな!?と、お気付きの方……。正解です。
だから、初めに(小っちゃく)書いたやないですか。ごくごく当たり前の事を書く…って(笑)
それを踏まえて。
舞台上の我々出演者は何をしているのかというと、向き合って話したり、脇正面に外してみたり、正面を向いてみたり……というように、身体の向きを変えたり、声の調子を変えることで、それを表現していたりするわけです。(その辺は、第7回「狂言を楽しむ 徳讃会」の3曲目の「柿山伏」には特に顕著に出てくるのではないでしょうか。☞ちなみに、残り3席です。ぜひお急ぎを。)ただ……。
それが息子殿には、まだ難しいのでしょうか。身体の向きが中途半端な方向だったり、イマイチきっちりとした「型」としての体をなしてないところがあり、「さて、どうしたもんかね……。」と思っていました。(それは、やはり中途半端はかっこ悪いですからね。)なので、苦肉の策として、
- おへそを前に向ける(正面)
- おへそを向こうの柱(大臣柱)の方へ向ける(アドと対面)
というような事を言っていました。
- おへそを幕の方へ向ける(舞台上には登場しない召使いに呼びかける)
しかし……どうもやっぱり、何かしっくりこないんですね。うまく指示が通ってない感じがする。
そこで、ふと標記のことを思い出したのですよ。
以前に友人が、白洲正子氏の著作を読んでいて、同氏が能をお稽古されていた折りのことが書いてあり、
「乳房に目が付いているように思え!」と、指導を受けたと書いてあった。と教えてくれたことがありました(うろ覚えなので、正確ではないかも知れません。)
両乳頭が「目」だと思って、その目で見るように体幹を動かすことで、体幹を正確にコントロールする(……という概念でよかったと思いますが。)
そう。
息子殿に、「両方のおっぱいで、こっちをピピピピ…と見る感じで、動いてごらん。」「今度は正面を見て…。」と、やってみたんですな!これは息子殿のハートをわしづかみにしたようですナ!!
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