途中、僕自身も不安に(本当は息子殿がちゃんと音をとれているのに、僕がそれを聞き取れていないのではないか!?と)なって、隣室で聞いてた妻に、どぉ?って聞いてみたのですが……。
やっぱり、僕の方は間違ってなかったわけで(;^_^A
まぁ、僕自身もですね。「花子」を披いて、過去に習得した謡いに立ち戻ったとき、その感覚に上手く馴染めてない気がします。
なんだろう…巧い例えが思い浮かびませんが、耕耘機にポルシェのエンジン積んでる(なんか昔、そんなアニメありましたよね?^^; )ような……。オーバースペック気味なんですよね、たぶん(--;)
しかし、子どもに初めに教えるときは、上級の技巧的なことよりも、まずは基本的な事を習得させなければならないと思うのですが、その場合、息子殿のレベルに合わせて僕がアウトプットする必要があります。
これがねぇ、意外と難しいのです。
加えて、西洋の音楽と違い、絶対的な音があるのではなくて、あくまでも前後の相対的な音の配置に依拠することになるので(極端に言えば謡い出しの初めの1音が基準になっていて)、たとえば、この1小節(1フレーズ)のみをピンポイントで反復して……という教え方がほぼできません。
変なところがあれば、フレーズをずーっと前まで遡って、何度も何度もやらないといけません。
そんな折、妻から
「普段から聞けるようにしてもらえたら(CDとかで再生できるように?)日中に聞かせておくけど?」という助言がありました(なにせ息子殿、僕の稽古の声を聞いて、花子の謡を鼻歌のように口ずさんでたぐらいですから?)ので、参考までに、僕のiPhoneで録ってみたのでした。
「息子殿も慣れて、感覚を掴めたら、きっと謡えるでしょう。」
その晩。
その、謡った小舞「土車」の謡いをパソコンに取り込んで、ついでにまぁ、何とはなしに過日の「花子」披きから4日後に、自らの記録のために録った、自分の謡を編集していたわけです。(実はこの時、最後の最後で妙なチョンボしまして^^; ホント見事に音を外した……という部分を削って、直後に謡い直した部分を繋げる作業をしてました。☞変なものを後世には残せませんし。)
編集をしながら、我が師から伝授を受け始めた頃の、超絶に拙い謡(ほんと、自分でもイヤんなるくらい、下っ手くそなやつ)をやってたことを思い出しました。
ここで手を抜いて(僕が楽をして)録音なんかを息子殿に聞かせてる場合やない。と、思い至りました。
しょせん、録音は録音なんですよね。その場の空気や気迫までは伝わらないですし、伝授する内容は、常にアップデート(アップグレード)していくものなのです。(僕が死んでるとかなら、仕方ないですけどもね。生きたテキストと時間はまだあるわけで。)
ま。そんなわけで。
今のご時世に、非合理的と失笑されそうですが、家伝の原点に立ち返って、ここは時間は掛かっても地道に伝授していきたいと思います。
さもないと、いずれ息子殿が極重習「花子」を披くとき(僕が伝授するとき)に、双方がもっと苦労することになるはずです。
外した音の数も、きっとそれは糧になるのです。(僕の経験上。)
☞いや、もっと以前に同じ事言うてる、偉大な先達がいました。世阿弥の謂う所の、《初心忘るべからず》ですよね。(≠初志貫徹)
……うん。
今回は、何か良いこと書いちゃったナ。
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