我が家は幸いなことに、稽古を積む設備は常に用意されていて、いつでも芸を磨くことができる環境が、生活環境のすぐ隣にあります。(だって、家ン中に舞台があるんだもん。)
しかし、スポーツの分野でもよく言われていますけれども、単にがむしゃらにやるだけではアカンのですね。間違った方法で、間違った練習を何遍繰り返しても、結局は身体を傷めるだけだったり、効果的でなかったりするわけです。(自己満足感?だけは満たされるのかも知れませんが。)
祖父が存命中に「稽古する場所はあんねんから。」とよく言われたことを思い出すのですが、まぁ決して真面目に取り組んでいたとは言えないです(笑)
不肖の孫でありました。ゴメンナサイm(__)m
と言うのも。
家に稽古場があり、師匠と同居しているということは、常に稽古の声は師匠(や家族)に聞かれているということなんですね(^^;) それは何だか気恥ずかしいものなのですよ。
加えて、何かの折にチョイチョイ、口頭で指導や修正が入ることがあります。たとえば夕飯時だったり、晩酌してる時とか(笑)
それが嫌さに稽古を忌避してたというのもありますが、今ではそれが同居しているメリットではないかと思うに至りました。
以前には、家を出て生活することを篤く勧めて下さった方もいらっしゃったのですが、今は家を出なくて良かったと思っている次第です。
それで。冒頭の話と標題に戻るのですが。
「声が出るのは、もう分かった。もう、がむしゃらに大声を張り上げて稽古するのではなくて、今度は表現というものを考えてみぃ!!」という課題です(笑)
そして!なんと!!さる方よりの「釣狐」の秘伝を記した書を拝見できるかもしれません。
まずは我が家の型、師匠の教えをキッチリとこなすことが第一ですが、もし閲覧が許されるならば、さらに追究してみたいと思います。
ああっ!今、気付きましたが、これで下手くそやったら、余程サボってると見なされるわけですよね(^^;)
そう考えると、こーれーは結構なプレッシャーかも!!(;゚〇゚)
0 件のコメント:
コメントを投稿
まいど!コメント、待ってます!!
(承認制になっていますので、反映には時間がかかる場合があります。)