「多くの人は、知りたがり過ぎる。」というふうに述懐しておられました。
単純明快な結論、分かりやすい筋立て……その、全てを把握していなければ、あるいは把握ができなければ、それは「面白くない。」ストーリーである。と思われてしまう。
そうなれば、狂言(ましてや、能)は非常に不利になります。その演目が成立したころの世相や、時代の感性が共有できていることが前提で、物語が進行したりしますし、舞台のセットなんかも極めて簡略化されています。
ただ、ここは声を大にして言いたいところですが、狂言として成立しているテーマは、現代人の志向にも通底する。ということです。実際に演じておりますと、結局、昔も今も似たようなことをやっとるねんなぁ。と思うことが多々あります。
→逆に言えば、だからこそ伝わり、残っているのだとも思うのです。
さて。
釣狐という演目のあらすじと解説を、考えているのですが……とりあえず、ありったけ盛り込んだ内容で作ってみました。師匠と家人にも読んでもらったのですが、もうね、9割がたバッサリ割愛することにしました。
色々調べましたけどね、マニアックすぎてかえって解らない。という結論に達しました(爆)
→ほんとに、せっかくね…いろいろ調べてね……、盛ってみたんですけどね。(ちょっと、惜しい。)
「見どころ」や「型どころ」……、本当に山ほどありますけど。
何が面白かったか、何が良かったか、何が心に残ったか。それは観た人が決めれば良いことかな……と(笑)
→えー、決して手を抜いたりですね、丸投げして逃げてるわけではないのですよ(笑)それに、観ていらっしゃる方には演者の思い入れなんか、原則関係ないでしょう?(笑)
ま、そんなんでね(どんなんや!?)
次回第5回徳讃会は、推敲に推敲を重ねたあらすじだけを記載することにしました。誌面もごく限られております。
冒頭の世情を踏まえているのか、時に結論(オチ)までも盛り込んだあらすじをも散見しますが、僕はそんな親切なことはしませんゾ(笑)
分からなかったら、ぜひ考えてみて下さい。その狂言が何を伝えたかったのか、通底するテーマは何かを。
もしかすると、解ることもあるかも知れません。