前回の小稽古でも録画をしていたので、それをまずテレビに映し出し、一緒に研究してから、舞台での稽古に臨みました。
やっぱり、方向転換のための「身体の回る方向」とか、一定の法則があるんですが、そこがまだ上手く分かってないみたいですね。
この時はこの位置で、この型!と教えこんでしまうのも一つの方法であり、幼児には一番手っ取り早く理解されやすいとは思うのですが、上述の“一定の法則”について、「なんでそうなんか?」という概念を理解させて型を覚えさせる方が、将来的には潰しが効くと思うし、咄嗟のアドリブが出来ると思うんですよね(幼児にアドリブのスキルを求めるかどうかは別として。)
そういう点では。
管見ながら、狂言というのは思っている以上に相対的であり、流動的なモノなのだ。と、改めて思いを致すわけです。たとえて言うならば、“絶対値”がないんですね。(って余計ワカランな! 爆)
余談ですが、時々評論家の方、あるいはツウの方の論評が目に留まることがあり、それを読んでいても、
「一つの尺度(絶対値?)に拘泥しているのか、それを金科玉条のように捉えておられるのだなぁ……。」と思うことはあります。(ま、お好みは人それぞれですし、見方は自由です。笑)
閑話休題。
で。相対的な教えか、絶対的な教えか……。
結局は、なんか両方で教えています。「本旨としてはAだけど、この時はA′(あるいはA″)という型をする。」となります。
そして、A′とかA″というのは、その教わる本人の力量に応じて仮に固定化されたポイントのような物なのでしょうね。
たぶん、僕が我が師から教わったことをあえて言語化するのならば、こういうことでしょうか。
当たり前の事を、ずいぶんアツく書いてしまいましたが、ここでの内容は、要するに幼稚園児の演じる太郎冠者と僕の演じる太郎冠者は違うんですよ。ってハナシです。
☞えっ?一緒に見える!?(;^_^A
そんなことを考えつつ稽古をしてたので、小稽古のつもりが、ちょっとボリュームが増えて、長くなってしまったのでした。
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