指導の方向性は間違ってなかったです。型がルーズ?になってるんですね。その結果締まりのない印象を全体に醸している。
師匠に注意を受けた事を修正し、型として忠実に反映させるために、そちらに意識が向いていると、どうしても変にスピードが上がってしまったり、本来ならば、この型が終わってからこの科白というのを、同時にやってしまったりするんですよね(経験者語る)
そう、無意識に焦ってしまうんです(笑)
☞逆に正確性を欠く結果となるんです。
焦らずに、ゆっくり堂々とできるようになるまでは、もう少し掛かりそうですね。
録画を観ながら思ったのですが、今度は僕は見所に座付きながら一通りみたいですね。
つまり、リアルタイムに客席側から息子殿の動きを観察して、修正箇所を指摘したいと思いました。
息子殿は、上述の焦りのためか“太郎冠者のホームポジション”(仮称)からどうしてもズレて立っているようなんですね。乳頭とお臍の目の位置もまた少しズレてる。
月曜の小稽古では、ちょっと見所(けんしょ)からみてみましょう(上手くできるかな!?)
そして、まもなく4月ですので、次回の大稽古からは着物を着けてやってみようかと思います。
僕の方は、「瓜盗人」を師匠に見てもらうのはひとまず置いて、第9回徳讃会の演目「居杭」(いぐい)の稽古をお願いしました。
でももう、30年以上前の話とちゃいますかね(^^;) 居杭を演じたの(笑)
☞居杭というのは、登場する子どもの名前です。
※ちなみに、能楽大事典によれば「出る杭は打たれる」から変じた名、あるいは居食い:徒食者の意ではないか。としていますね(いずれにしても未詳であるよう。)
居杭が透明人間になる?話ですけども、面白い演目です。演じてた時、僕自身がものすごくスリルを感じてドキドキした記憶があります!
居杭は今でいうところのハラスメント(いや、児童虐待に該当するのかナ?)を受けていますが、それが嫌さに神仏に加護によって透明人間化する特殊アイテムを得て、反撃するわけですね。(超絶ザックリ説明。☜誤解恐れず^^; )
もちろん狂言ですので、全く深刻な内容ではないですが、加害側の言い訳は当時も現在も全然……っつーか、いや、ホンマ変わらんな!(爆)
説教めいた内容ではありませんが、もし思い当たる人がいるのならば、是非とも改めて頂きたいものですよねぇ(笑)
狂言には弱者側の声を代弁するという役割があったのでしょうが、往々にして、どうしようもない現実であるが故に、せめて…この居杭のような空想的な物語に思いを託そうとしたのではないかと想像したりもします(なーんて事を書くと、壮大すぎますが!! 笑)
隠れ蓑や隠れ笠もそうですけども、透明化したい願望ってみんな持ってたのか知らん!?(^^;)
あーあ。
今日も「花子」の事、書けなかったな(笑)
もう既に長いですので、続きは次回の講釈まで……。
あー。やっぱり知りたいです?
ザックリと書いておきます。
何とかヒヤリングはできそうな予感はしました。しかし確実に正確な音が出せません(再現性が低いのです。)
問題は、僕自身のフィードバックの能力です。
そうさな。
前に心象としての壁の話をしたかも知れませんけども、何となく思うのは…釣狐の“六つの杖”レベルの内容(壁)が5、6枚立ちはだかっているイメージでしょうか……( ꒪⌓꒪)
☞ってか、六つの杖(口伝)が解らんわな。とにかくあの時間帯、演者は死域(by北方謙三)にいるらしいという噂です……よ?(ハイ、あの時間帯の事はよく覚えてませんデスww)
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